旅する美術史:ゴッホ《ガシェ医師の肖像》を訪ねて オーヴェルの医師ポール・ガシェとは何者か

旅する美術史:ゴッホ《ガシェ医師の肖像》を訪ねて オーヴェルの医師ポール・ガシェとは何者か

はじめに

今回のテーマは、ゴッホが描いた人物の中でもとりわけ印象深い存在、ポール・ガシェです。
舞台は、ゴッホ最晩年の地として知られるオーヴェール・シュル・オワーズ
この静かな村でゴッホは最後の二か月を過ごし、その短いあいだに数多くの傑作を残しました。

ゴッホの作品というと、《ひまわり》のような静物画や、アルルやサン=レミの風景画に目が向きがちです。
けれど彼の人物画を見ていくと、そこには彼の人生に実際に関わった重要人物たちが登場していることに気づきます。
タンギー爺さん、ジョゼフ・ルーラン、そして最晩年のガシェ医師。
彼らをたどることは、ゴッホの作品を深く見ることと、そのままつながっています。

今回は、《ガシェ医師の肖像》を入口にしながら、
ガシェとはどのような人物だったのか、
なぜゴッホはオーヴェールへ移り住んだのか、
そしてガシェ一家がゴッホ最終章においてどのような役割を果たしたのかを、旅する美術史としてたどってみたいと思います。

オーヴェール・シュル・オワーズ(フランス)

ゴッホが描いた人物画の面白さ

ゴッホの作品は、糸杉や麦畑の風景、ひまわりの静物画などでよく知られています。
しかし人物画にも重要な作品が多く、そこに描かれた人物たちを深く見ていくと、ゴッホの人生そのものが浮かび上がってきます。

たとえばパリの画商ジュリアン・フランソワ・タンギー、いわゆる「タンギー爺さん」は、ゴッホにとって大切な存在でした。
彼の画廊には印象派や新しい画家たちが集まり、当時人気を集めていた浮世絵も並んでいました。
その意味でタンギーは、ゴッホがパリで新しい視覚文化に触れていくうえで欠かせない人物の一人だったと言えるでしょう。

《タンギー爺さん》 ロダン美術館(パリ)

こうした人物画を見ていると、ゴッホの絵は単に人の顔を写したものではなく、その人物との関係そのものを描いているのだと感じます。
《ガシェ医師の肖像》もまさにそうした作品であり、そこには最晩年のゴッホが寄せた信頼、不安、共感、そして複雑な距離感がにじんでいるように見えます。

ポール・ガシェとは誰だったのか

今回の中心人物であるポール・ガシェ(1828-1909)は、ゴッホ最晩年を診療した医師として知られています。
ただし、彼を単なる「ゴッホの主治医」とだけ呼ぶのでは不十分です。
ガシェは医師であると同時に、芸術に深い関心を持ち、印象派の画家たちと交流し、自らも絵を描く人物でした。

さらに重要なのは、彼とその家族が、ゴッホの死後にもフランス美術の受容に小さくない役割を果たしたことです。
ガシェ家に残されたゴッホ作品や印象派作品は、のちに公的なコレクションへと受け継がれていきました。
つまりガシェは、ゴッホの最期に立ち会った人物であるだけでなく、ゴッホの死後の記憶をつなぐ人物でもあったのです。

ゴッホはガシェについて、最初はかなり警戒していました。
弟テオへの手紙には、「彼は俺より病気か、俺と同じぐらいかもしれん」といった趣旨の言葉が出てきます。
耳切り事件ののち、サン=レミの療養院で一年を過ごしたゴッホに、そこまで言わせた医師とはどんな人物だったのか。
この一言だけでも、ガシェの個性の強さが伝わってきます。

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