今回は、文学紀行として青森を旅してみたい。
手がかりにするのは、太宰治の紀行文『津軽』である。
太宰治というと、『斜陽』や『人間失格』のような、どこか重く、暗い作品を思い浮かべる人も多いかもしれない。
けれど『津軽』には、少し違う太宰がいる。
故郷を歩き、懐かしい人々に会い、かつて自分を育ててくれた女性を訪ねる。そこには、作家としての太宰だけでなく、ひとりの人間としての太宰のやわらかさが見える。
旅先は、東北の青森。
太宰治の『津軽』、そして沢木耕太郎の紀行エッセイを手がかりに、青森・金木町をめぐってみたい。
太宰治『津軽』を読む
太宰治の『津軽』は、1944年に刊行された紀行文である。
出版社からの依頼を受けた太宰が、故郷である津軽地方をおよそ3週間かけて旅する内容になっている。
青森、蟹田、竜飛、そして金木。
太宰は、津軽の町や村を訪ね、人々と会い、酒を飲み、話し、記憶をたどっていく。
この作品の魅力は、単なる土地案内ではないところにある。
旅の記録でありながら、自伝的な小説のようでもあり、故郷への複雑な感情がにじむ随筆のようでもある。
太宰の文章には、照れや皮肉、ユーモア、人恋しさが混じっている。
重苦しい太宰作品を想像して読むと、『津軽』の人間味に少し驚くかもしれない。
僕は、青森を旅してから『津軽』を読んだ。
先に土地を見てから読むと、太宰の文章の中に出てくる風景が、より立体的に感じられる。海の色、空の広さ、東北の家々、雪国の気配。そうしたものが、文章の背後に浮かび上がってくる。

東京から青森へ|太宰の旅を思う
太宰は、東京を発ち、故郷の津軽へ向かった。
現在であれば、東北新幹線を使って東京から新青森まで行くことができる。時間はかかるが、それでも一日で十分移動できる距離である。
けれど、太宰が旅をした時代を思うと、青森への道のりは今よりずっと遠かったはずだ。
列車に揺られながら、北へ向かっていく。
東京から東北へ、そして津軽へ。
作家にとって、それは単なる移動ではなく、自分の過去へ近づいていく旅でもあったのだと思う。
旅には、場所へ向かう旅と、記憶へ向かう旅がある。
『津軽』は、その二つが重なった作品である。
太宰治の故郷、金木町へ
太宰治の故郷は、旧金木町、現在の青森県五所川原市金木町である。
金木町を訪ねると、太宰治という作家が、抽象的な文学史上の人物ではなく、この土地に生まれ、この土地の空気を吸って育った人間だったことが感じられる。
文学作品を読むだけでは見えてこないものが、土地を歩くことで少し見えてくることがある。
駅から町へ入り、通りを歩き、古い建物を眺める。
すると、太宰の文章に漂う故郷への近さと距離感が、少しだけわかる気がする。
斜陽館|太宰治の生家
金木町を訪れたら、まず見ておきたいのが斜陽館である。
斜陽館は、太宰治の生家である。
明治40年、太宰の父である津島源右衛門によって建てられた豪邸で、現在は公開され、内部を見学することができる。
青森ヒバをふんだんに使った建物は、今でも堂々とした存在感を持っている。
外観を前にすると、太宰がいわゆる「名家」の出身だったことが、建築の大きさとして実感される。

斜陽館は、明治の和洋折衷建築としても興味深い。
和風の空間と洋風の要素が同じ建物の中に共存している。畳の部屋、廊下、階段、洋風の意匠、古いガラス、照明。
そのひとつひとつに、明治という時代の空気が残っている。
古い建物を歩く楽しさは、単に歴史的な情報を知ることではない。
床のきしみ、光の入り方、木の質感、部屋の奥行き。そうしたものを身体で感じることで、過去の時間に少し近づける。

斜陽館の光
斜陽館で特に印象に残ったのは、照明と光である。
旅先で建物を見ていると、ふとした光に心を引かれることがある。
窓から入る自然光。
古い照明器具の明かり。
木の壁やガラスに反射する淡い光。
光には、場所の記憶を呼び起こす力がある。
斜陽館の中にある照明を眺めていると、ただ古い器具を見ているだけではなく、明治の時間がそこに静かに残っているように感じられた。
太宰治の文学を考えるとき、彼の生家の大きさや格式だけではなく、こうした光の記憶も大切なのではないかと思う。
この家で過ごした時間、この家から離れていく意識、この家へ戻ってくる複雑な感情。
『津軽』を読んでから斜陽館を訪れると、建物の見え方も少し変わってくる。









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