イギリス南部、海に向かって白い断崖が連なる場所がある。
セブン・シスターズ。
その名を初めて聞いたとき、僕はどこか物語の中に出てくる地名のように感じた。
七人の姉妹。
やわらかく、少し神話めいた響き。
けれども実際にそこへ向かうと、目の前に現れたのは、名前の優しさとは対照的なほど壮大な風景だった。
青い空、草原を渡る風、遠くに見えはじめる海。
そして、突然地面が途切れた先に現れる白亜の断崖。
この風景は、イギリスという土地が持つ美しさを、静かに、しかし圧倒的に語っていた。

白亜の断崖へ向かう
セブン・シスターズは、イングランド南部、イースト・サセックスの海岸沿いに広がる白亜の断崖である。
ブライトンやイーストボーンから訪れることができ、ロンドンから日帰りで向かう人も多い。
この日は、ブライトンに住む友人と車で向かった。
車窓には、イギリスらしい穏やかな田園風景が流れていく。
広い空、低い丘、緑の草地、遠くに見える木々。
都市から離れるにつれて、風景の輪郭が少しずつ柔らかくなっていくようだった。
セブン・シスターズには、きっと分かりやすい王道のルートもあるのだと思う。
けれども僕たちは、途中で車を降り、草原を横切りながら崖を目指す道を選んだ。
観光地らしい大きな案内板が次々に現れるわけではない。
「こちらへ行けば絶景です」と親切に導かれるような場所でもない。
ただ、海の方角へ向かって、草原の中を歩いていく。
その少し不安になるような素っ気なさが、かえってよかった。
美しい場所へ向かっているのに、まだその姿は見えない。
ただ風だけが吹いている。
その時間が、旅の期待をゆっくりと膨らませていった。
草原の彼方に海が見えはじめる
歩きながら、何度も遠くを見た。
最初は緑の草原だけが広がっていた。
けれども、しばらく進むと、草原の向こうにうっすらと海の色が見えはじめた。
その瞬間、風景の奥行きが変わる。
ただの丘ではなく、その先に海があるのだと分かる。
足元の草、遠くの水平線、頬を抜けていく風。
それらがひとつにつながり、セブン・シスターズへ向かっているという実感が急に強くなった。

イギリスの田園風景には、不思議な静けさがある。
それは、何もないという意味ではない。
むしろ、風、雲、草、光がゆっくり動いている。
大きな音はないのに、風景そのものが呼吸しているように感じられる。
セブン・シスターズへの道は、目的地に着く前から美しかった。
白い断崖だけを見に行くのではなく、そこへ向かうまでの草原もまた、この旅の大切な一部だった。
白い岸壁が近づいてくる
やがて、風景の中に白いものが見えはじめる。
海岸線に沿って連なる白亜の断崖。
セブン・シスターズである。
白い岸壁は、遠くから見ても強い存在感を放っていた。
青い海と緑の草原の間に、まるで巨大な白い線が引かれているようだった。
その白さは、人工的なものではない。
長い時間をかけて自然が作り上げた、圧倒的な白である。

イングランドの白い岸壁といえば、ドーヴァーの白い崖を思い浮かべる人も多いだろう。
フランスのカレーから海を渡ると、海上から白い岸壁が見えてくるという。
その光景は、イギリスへ近づく旅人にとって、ひとつの象徴だったに違いない。
いつか、フランス側から船で海峡を渡り、徐々に近づいてくる白い壁を眺めてみたいと思う。
海の上から見る白亜の断崖は、きっと陸から見る風景とはまた違う表情を見せるはずだ。
崖の縁に立つ
ついに崖の縁へたどり着いた。
そこでは、地面が突然終わる。
草原の先が、何の前触れもなく海へ落ち込んでいる。
目の前に広がるのは、白い絶壁と青い海だった。
その高さに、思わず息をのむ。
足元のすぐ先には、遥か下の波がある。
白い壁が垂直に近い角度で海へ向かって落ちていく。
自然は美しいだけではない。
ときに恐ろしいほど大きく、こちらの身体感覚を揺さぶってくる。
崖の上に立つと、風景を見るというより、風景の中に投げ出されるような感覚になる。
空、海、草原、崖。
それぞれが大きすぎて、自分の輪郭が少し薄くなる。
旅先で忘れられない風景というのは、きっとこういう場所なのだと思う。
写真に収めることはできる。
けれども、本当の大きさや風の強さ、足元の怖さ、目の前で広がる空間の圧力までは、なかなか写しきれない。

夏の夕陽に染まる白亜の壁
この日、セブン・シスターズには夏の夕陽が当たっていた。
白い断崖は、光の変化に敏感だった。
真昼の強い光の中ではまぶしいほど白く見えるだろう。
けれども夕方になると、その白は少しずつ柔らかくなり、影を含み、温かな色を帯びていく。
海岸線に沿って続く白い壁。
その上に広がる緑の草原。
その向こうに沈んでいく太陽。
何かが起こっているわけではない。
ただ光が移ろっているだけである。
けれども、その移ろいがとても美しかった。
セブン・シスターズは、評判をはるかに超える場所だった。
有名な観光地だから美しいのではない。
実際に立ってみると、その場所が持つ力そのものに圧倒される。
青い空、青い海、緑の草原、白い断崖。
とても単純な色の組み合わせなのに、その風景は深く心に残る。
イギリスの自然美が、ここに凝縮されているように感じられた。



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