今回は、パリの建築を少し紹介する。
パリの街を歩いていると、様々な時代の建築様式が混じり合い、その多様な建物群は美しい街並みをつくり上げている。よく、パリの家々には、いろいろな屋根や煙突があると形容されるが、歴史が深く多様なパリならではで面白い。
今回はルーブル美術館界隈でネオ・ゴシック建築とアール・ヌーボーを見てみよう。
ルーブル界隈でみるネオ・ゴシックとアール・ヌーボー
アール・ヌーボーとは
アール・ヌーボーは、19世紀末から20世紀初頭に、フランスやベルギーなどで流行したアートムーブメントで、フランス語で「新しいアート」を意味する。
パリやブリュッセルを歩いていると、曲線的で植物を想起させる装飾が街のあちらこちらで見かける。こういった曲線と食物をモチーフにした様式が、アール・ヌーボーの特徴だ。
古典様式への反発から
アール・ヌーボーは、古典的なアカデミックな美術様式に反発するように生まれて来たとされる。古典とは、ルネサンス様式にみられるような直線的でいわゆる「かちっとした」様式をいう。なるほどアールヌーボーは曲線的で優しい。
上の写真はルーブル界隈を撮ったものだが、中央左寄りに写っているアール・ヌーボーを代表する建築家エクトール・ギマール(1867-1942)のデザインによる地下鉄入り口が街に溶け込んでいる。
右側にはパリで始めて1855年にナポレオン3世の命により建造されたグランドホテルであるオテル・デゥ・ルーブル (Hotel du Louvre) がある。
当時、エコールデボザールを出て駅舎をはじめ数々の実績を残していたアルフレ・アルマンが設計した。いわゆるナポレオン3世様式で、様々な様式が混在した当時人気があったスタイル。ルネサンス様式からバロックなどを取り入れたこのスタイルは、インターナショナルな人気を持った。
左手にはルーブル美術館が見える。このルーブルの建築を見てみよう。
ルーブルのネオ・バロック
1793年に開館したルーブル美術館の建物は、元は中世の城塞が元になって時代ごとに拡張を続けてきたもの。リヴォリ通りに側は、ルーブルでも比較的新しいリシュリュー翼とドゥノン翼が通りに並行して伸びる。この二つの翼(建造物)は、19世紀中頃、ナポレオン3世統治時に完成したもので、ネオ・バロック様式で造られている。設計はルイ・ビスコンティとエクトル・ルフュールによるもの。
この1852年から1870年は、第二帝政期にあたる。フランスも繁栄を謳歌していた時代であった。ルーブルの収蔵品も膨れ上がった時期で、この二つの翼もメインの建物から、チュイルリー宮殿まで結ぶものとして建造され、装飾も豪華に施された。
ネオ・バロックとアール・ヌーボーが奏でるハーモニー
アール・ヌーボーの連中の主義主張はともかく、古典様式であったりルネサンスやバロックといった建築群の中にアール・ヌーボーの装飾が入っているのを見かけると、それはそれで美しくまとまっているように見える。こうした感想は、自然の曲線を愛したアール・ヌーボーの連中の意には反するかもしれない。
しかし、優れた芸術は共存しハーモニーを奏でる。そもそも芸術とは創造であり、それは破壊の対極にあるものという性質からかもしれない。
この「新しいアート運動」の芸術様式は他の地域でも起こった。バルセロナのモデルニスモやウィーンをはじめとするドイツ圏のユーゲントシュティールなども大きなムーブメントがそれで、これら一連のムーブメントは国際的な広がりを見せたといってよいだろう。
また、19世紀のナポレオン3世様式と呼ばれる第二帝政スタイルもまた、ルネサンス様式を基礎とし、バロックなどのスタイルをごっちゃ混ぜにして発展させたものだ。
ルーブル界隈を見ただけでも、こうした多彩なスタイルが共存し、美しいパリの街並みを構成しているのがわかって面白い。
Photo and Writing by HASEGAWA, Koichi
参考文献:パリの建築は多彩で面白い。建築をめぐる書籍でも楽しみたい。
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