南フランスには、芸術家たちを惹きつける光がある。
地中海の青い海、明るい空、乾いた風、丘の上の村、海沿いの町。そこには、北フランスやパリとは違う、開放的でやわらかな時間が流れている。
20世紀を代表する二人の画家、アンリ・マティスとパブロ・ピカソもまた、この南フランスと深く結びついていた。
マティスは、ニースの光に魅了され、この地で長い時間を過ごした。
ピカソは、アンティーブ、ヴァロリス、ムージャンなど、南フランスの町や村で制作を続けた。
パリで前衛芸術を切り開いた二人が、南フランスで何を見たのか。
今回は、ニースを中心に、マティスとピカソの足跡をたどりながら、南フランスを旅してみたい。
20世紀美術の二人の巨人、マティスとピカソ
20世紀初頭の美術を語るうえで、マティスとピカソは避けて通れない存在である。
マティスは、強い色彩と大胆なフォルムによって、フォーヴィスムを代表する画家となった。
彼の色彩は、単に目に見える色を再現するものではなかった。自然を忠実に写すというより、心が感じた色、感覚として立ち上がる色を画面に置いていく。
それに対してピカソは、ジョルジュ・ブラックとともにキュビスムを展開し、絵画の見方そのものを大きく変えていった。
1907年の《アヴィニョンの娘たち》以降、ピカソは対象をひとつの視点から描くのではなく、複数の視点を組み合わせるような新しい絵画の可能性を切り開いていく。
フォーヴィスムのマティス。
キュビスムのピカソ。
二人はまったく違う方向から、20世紀美術を牽引していった。
その二人が、ともに南フランスと深く関わっていくことは、とても興味深い。
パリで生まれた前衛の緊張感とは違う、地中海の光と空気の中で、彼らの芸術はまた別の表情を見せていく。
ピカソと南フランス
まずは、ピカソと南フランスの関係を見てみたい。
ピカソは、晩年に南フランスの複数の町や村と深く関わった。
アンティーブ、ヴァロリス、ムージャン。これらの地名は、ピカソの後半生を考えるうえで重要である。
南フランスは、明るい光と穏やかな気候に恵まれた土地である。
しかし、ピカソにとってそれは単なる保養地ではなかった。
ここで彼は、絵画だけでなく、陶芸、壁画、彫刻的な造形にも取り組んでいく。南フランスの土地や素材、古代的な感覚、地中海的な明るさが、ピカソの制作に新しい広がりを与えていった。

ヴァロリスとアンティーブのピカソ
ピカソゆかりの地として、まず訪ねたいのがヴァロリスである。
ヴァロリスは、古くから陶器で知られる町である。良質な粘土が取れる土地であり、陶芸の伝統が息づいていた。
ピカソは1946年にこの地の陶芸マーケットを訪れたことをきっかけに、陶芸へ強い関心を持つようになる。
1948年以降、彼はヴァロリスで多くの陶芸作品を制作した。
ピカソというと、どうしても絵画のイメージが強い。
しかし、南フランスのピカソを追うと、絵画だけではない彼の造形感覚が見えてくる。
皿、壺、動物、顔、神話的な形。陶器という日常的な器の中に、ピカソらしい変形と遊びが入り込んでいく。
ヴァロリスでは、ピカソの大壁画《戦争と平和》にも触れることができる。
一方、アンティーブにもピカソの重要な足跡が残る。
アンティーブのピカソ美術館は、ピカソがアトリエとして使ったグリマルディ城砦にある。海を望むその場所で、ピカソが制作していたことを思うと、作品と土地のつながりがより近く感じられる。
地中海を前にした城砦の中で制作するピカソ。
それは、パリのアトリエとはまったく違う環境だったはずである。
ピカソ晩年の村、ムージャン
ピカソの南フランスをめぐる旅では、ムージャンも忘れられない。
ムージャンは、カンヌ湾を見下ろす丘の上にある村で、南フランスらしい美しい「鷲の巣村」として知られる。
ピカソは晩年、このムージャンで長い時間を過ごした。
南フランスの村には、芸術家を惹きつける静けさと明るさがある。
ムージャンもまた、多くの芸術家や文化人に愛された場所で、フェルナン・レジェ、エディット・ピアフ、イヴ・サンローランなどの名前もこの地と結びついて語られる。
南仏の丘の上から海を眺める時間は、パリの都市的な時間とは違う。
ゆっくりとした光の中で、建物も、道も、風景も、少し古代的な落ち着きを帯びて見える。
ピカソがこの土地に惹かれた理由も、そうした空気の中にあったのかもしれない。



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