旅する美術史:オーヴェル・シュル・オワーズを歩く ゴッホ最期の村とラヴー亭、最後の部屋へ

ゴッホの部屋にあった椅子。

ゴッホとオーヴェル・シュル・オワーズ

1890年、ゴッホは南仏を離れ、パリ近郊のこの村へ移り住みました。
オーヴェルを勧めたのは弟のテオです。
南仏の強い光や緊張感から離れ、より穏やかな環境の中で静養しながら制作を続けられる場所として、この村が選ばれたのでした。

そこには、精神科医であり、芸術にも理解のあったポール・ガシェ医師の存在もありました。
ガシェは印象派の画家たちと交流を持ち、自身も芸術を愛した人物です。
ゴッホにとってオーヴェルは、ただの療養先ではなく、芸術と生活の両方を支える人々がいる場所でもあったのです。

この村での滞在は短いものでした。
それでも彼は、この2か月ほどのあいだに70点以上の作品を描いたとされています。
それは驚異的な制作量であり、同時に彼がこの村の風景にどれほど強く反応していたかを物語っています。

村の中心部を歩くと、今もゴッホの作品と現実の風景が近い距離で重なります。
役場のそばには、彼が描いた「オーヴェルの村役場」を思い出させる空間があり、
道を進めば「オーヴェルの教会」へとつながる風景も見えてきます。
この村では、ゴッホの絵画が抽象的な名作としてではなく、具体的な土地の記憶として立ち上がってくるのです。

役場前にはゴッホ作品のプレートが置かれている。Photo by HASEGAWA, Koichi

オーヴェル・シュル・オワーズは、ゴッホだけの村ではありません。
19世紀には風景画家シャルル=フランソワ・ドービニーがこの地で活動し、セザンヌも足を運びました。
つまりこの村は、ゴッホ最晩年の舞台であると同時に、印象派周辺の芸術文化が息づいた場所でもあります。

そう考えると、オーヴェルを歩くことは、単にゴッホの足跡を追うことではなく、
19世紀後半のフランス絵画がどのように都市の外の風景と結びついていたのかを感じる旅でもあるのです。

ゴッホの家の近くにある町役場。Photo by HASEGAWA, Koichi

ゴッホの作品を見るとき、僕たちはしばしばその激しい筆致や色彩、そして彼の波乱に満ちた人生に目を向けます。
けれどオーヴェルを歩いていると、それらの作品がまず「ある村の風景」から生まれていたことに気づかされます。
静かな村役場、坂道、教会、畑。
その静けさの中から、あの強い絵画が生まれていたのです。

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