はじめに
20世紀を代表するアーティストであるアンリ・マティスと彼のライバル的な存在であったピカソ。彼らを追って南フランスを旅してみます。
マティス芸術の特徴である「強い色」と「単純で強烈な印象を与えるフォルム」。第一次大戦後の時代、すでに巨匠となっていた壮年期のマティスは、ニースへ移り住みます。ニース時代にもマティス芸術は進化を遂げていきます。
一方、同時代のいわばライバルであったピカソも南フランスと縁があります。彼らの足跡を辿ってみましょう。
目次
1. 20世紀初頭のマティスとピカソ
20世紀初頭から1920年代にかけてのマティスとピカソは、まさに2大スターの共演でした。
この時期マティスは、フォーヴィスム運動を先導します。「色彩豊かな画面」が特徴ですが、印象派が目に見える色彩の美しさを追い求めたのとは違い、心が感じた色彩を表現しようとしました。
対して20世紀初頭のピカソのスタイルは、何と言ってもキュビズムです。『アビニョンの娘たち』を1907年に制作しますが、友人たちには酷評されます。しかし、ジョルジュ・ブラックはこのただならぬ作品だと見抜き、ピカソとキュビズムを発展させていきます。
フォーヴとキュビズム。マティスとピカソは20世紀の初頭にこれらの様式をもって美術を牽引します。
2. パブロ・ピカソと南フランス
ではピカソを巡って南フランスの村や街を紹介します。ピカソゆかりの地が多いですが、映画祭で有名なカンヌには住んでいましたし、アンティーブには、彼がアトリエとして使っていた建物があります。現在はピカソ美術館になっています。
ヴァロリスとアンティーブにあるピカソ美術館
ピカソ美術館があるヴァロリスとアンティーブ。
ピカソは絵画で有名ですが、陶芸にも大きな業績を残しています。ヴァロリス周辺は、良質な粘土が取れることから、古来より陶器で有名な土地です。ピカソは1946年の陶芸マーケットにやってきて以来、1948年から約7年ここで多くの陶芸を含む絵画作品を制作します。
ヴァロリスにあるピカソ美術館には、代表作である大壁画「戦争と平和」(1952)が展示されています。
アンティーブのピカソ美術館:日本語の解説はここから
ピカソお気に入りの村ムージャン
アンティーブと共にピカソが晩年の12年間過ごした村ムージャン。1936年に最後の妻であるジャクリーンと移住してきます。ムージャンは、アーティストに人気があった村で、画家フェルナン・レジェをはじめ歌手のエディット・ピアフや、デザイナーのイヴ・サンローランなどそうそうたる人がムージャンに魅了されます。
ムージャンの場所
3. 南フランス旅行のハイライトであるニースとマティス
マティスのニース時代を巡ります。さあ、まずはニースを紹介しましょう。
マルセイユからTGVに乗ると、やがて車窓には、紺碧の地中海が広がってきます。「リヴェイラの女王」ニースまで、約2時間半で到着です。
ニースには陽光を求めて、世界中から沢山の人が、地中海ライフをエンジョイするために訪れます。
この街では、日光浴をしたり、アートを巡ったり、ショッピングや食事を楽しんだりと、地中海バカンスをリラックスしながら最高に満喫できます。
4. アーティストを魅了したニースの碧い海と空
光の効果により、アーティストが惹きつけられる土地は、数多いです。陽光降り注ぐ南フランスは、多くのアーティストを引きつけてやまないです。
この南フランスには、先にあげたピカソをはじめ、ゴッホ、コクトー、セザンヌなど、沢山のアーティストにゆかりがある地が数多くあります。
ニースでは、シャガールやデュフィなども、多くの重要作品を完成させました。
5. アンリ・マティスとニース
20世紀を代表する巨匠アンリ・マティス (1869-1954)もニースに魅了されたアーティストの一人。
彼がニースに初めてやってきたのは、1917年12月。
既に人気作家になっていた48歳のマティスは、当時気管支炎を患っており、療養のために温暖なニースを訪れていました。
彼は1ヶ月間海岸沿いのホテル ボー・リヴァージュ(Hotel Beau Rivage )に滞在するものの、毎日の雨に閉口していました。せっかくのニースでしたが、毎日の悪天候は、マティスをガッカリさせました。
「もうニースを離れよう」そう思っていたマティスでしたが、滞在最終日に晴れ上がったニースの景色を見た彼は、ニースを離れない事を決断します。
マティスもニースの光に魅了されたんですね。冬でもニースの太陽は、海と空を碧く輝かせました。
彼はホテルをチェックアウトし、いくつかのアパートを借り、春まで同地で過ごします。
6. ニースはマティスの画風へどう影響を与えたのか
マティスの作風は、ニース期にアプローチが変わったと言われます。リラックスし、画風もソフトになっていきます。この地の持つ風土や気候が大きな影響を与えたであろうと想像します。
また、ニース期のマティス芸術は、第一次世界大戦後のいわゆる「リターン・トゥ・オーダー」ムーブメントにも属すと言われます。
つまり、クラシックな古典アートに回帰していく兆候です。暴力、戦争や機械と言ったものを扱ったり、それを連想させるアートは意識的に忘れ去られていきます。フォーブやキュビズムはそうして大戦前のアートとして忘れ去られていきました。
この時期のマティスは、オベリスクや東方文化への興味を示していきました。こうしたモチーフもまた機械や暴力といった雰囲気からはかけ離れたものと言っていいですね。
ニースへ来て数年後の1921年に、マティスはニースを定住の地に選びます。それからの彼は、約17年ニースを舞台に充実した時間を過ごし、重要な作品も数多く作成しました。
ニースを訪れたら、マティスが滞在したホテルやアパートを巡るのもいいですね。マティスが見たニースの色を、彼が見た同じ場所から見てみるのもいい経験になるはず。
※マティスの日本語での出版物はあまりない印象があるが、この本はビジュアルも多くわかりやすい。
7. マティスが暮らした地区にあるマティス美術館
ニースを訪れたらマティス美術館がオススメです。
彼が1938年に移り住んだシミエ (Cimiez) 地区にあります。駅からタクシーがいいですね。17世紀の邸宅が現在は美術館になっており、建物の雰囲気も地中海風でとてもいいです。この辺りは歴史的にもイタリアの影響があり、邸宅もどこかイタリア風の雰囲気を感じさせられます。
この美術館にあるマティス・コレクションは、1890年代から晩年の1950年代までの作風の変化を追いながら展示されていて、マティス芸術の変遷を可視化しています。
大きな美術館にある有名作品はないかもしれませんが、広く彼の芸術に触れられる興味深い美術館です。
特に、マティスが晩年力を入れたヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の習作を見る事が出来る展示は、必見。
※「ルネサンス経験の条件」の冒頭にマティスのロザリオ礼拝堂についての分析が載っています。専門的なため難解ですが、名著。もちろんルネサンス美術に興味がある方にもオススメ。
ニースの「天使の湾」は、多くのアーティストに描かれてきた場所です。今日もマティスが愛した「強くも優しい陽光」を求めて、沢山のアーティストが絵筆を握っています。
最後に
ピカソとマティスが過ごした南フランス。アートの旅をしながらのんびりと南フランスを楽しんでみてください。青い海と空、そして魅力溢れる文化に魅了されるはずです。
Photo and Writing by Hasegawa, Koichi and Shino
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