『旅に魅せられて』:旅を楽しもう

東海道新幹線の車窓より富士山を臨む(写真上)

旅が大好きだ。

私は地図ばかり眺めている少年だった。叔父からもらった地図帳を隅々まで見ては、行きたい国や場所、首都や辺境の街、変わった名前の島を見つけてはノートに書き込み大事に大事にしていた。

旅への目覚めとして記憶にあるのは、年に一度の家族旅行。少年の頃の思い出は鮮烈に記憶に残っている。地元秋田から山梨や東京への家族旅行が楽しみだった。それは大旅行であった。秋田出身の私は、東京は憧れの地。車での旅行が多かったうちの家族は、父と叔父が交代で夜通し運転しながら長い距離をよく旅をした。

夜の東北道をひたすら南へ、南へ。車窓から見える高速道路のオレンジ色のライトが、少年の頃の私には旅情を感じさせるものだった。

車は東京に近くなるにつれ、段々と車窓には街の光が広がってくる。もうすぐ東京だ。そんなワクワク感を今でも思い返すことがある。

その時期の旅の思い出は、高速道路のサービスエリアであったり、見知らぬ街のファミレスであったり。大事な旅の思い出だ。

小学生の頃、一人で秋田から甲府にいる従兄弟に会いに行こうと計画を立てた。お年玉を貯め、3月の春休みにその計画を実行に移す。私の両親は、東北の田舎に住む子供が、一人で遥か東京を経て山梨へ行くなどもってのほかだとは考えなかった。それよりも一人で旅をさせようと押し出してくれた。

時刻表を調べ、父に旅行計画を出してみる。それを見た父は、旅行会社に連れて行ってくれ、旅程を詰めてくれた。そして新幹線のチケットを予約し、細かな旅程もチェック。「よし、気をつけて行って来い。」そんな父であった。

在来線に乗って、盛岡へ。当時はまだ秋田新幹線は開業前であったため、東北新幹線の始発は盛岡であった。

この新幹線チケットは今でも財布に入れ持ち歩いている。

私が少年時代の頃の新幹線にはまだビュッフェ車両があった。小学生の私は、ビュッフェへ行き、コーラを注文。ビュッフェにある速度計を見ながら一人でコーラを飲みながら車窓の景色を楽しむ、そんな少年であった。

この小学生の頃の大遠征に自信を得た私は、中学の頃には一人で海外へ行こうと計画。叔父が仕事でパリに移り住むことになり、パリへ行ってやろうとあらゆる旅行本を買い調べた。さすがにお年玉では旅費が賄えず、パリ行きは実現しなかったが、その当時の知識は大人になってパリへ行った時も覚えていたほどであった。

 

やがて、美術史の研究や個人旅行で国内外沢山の場所を訪れるようになる。旅が好きなのは子供の頃からであるが、大人になった今もどこか見知らぬ地に行ってみたいという気持ちは変わらない。

新型コロナウイルスが猛威を奮っている。以前のように旅ができるようになるまで、もう少しかかりそうだ。それまでは旅に出る準備準備。新しい世界にまた出かけて行きましょう。

2020年夏

スカイツアーズ

Photo and Writing by Hasegawa, Koichi