地図帳の夢から始まる旅路:少年時代の冒険心と今に続く旅への想い
旅が大好きだ。
僕は小さい頃、地図を眺めては夢を見ていた少年だった。叔父からもらった一冊の地図帳を何度も何度もめくり、まだ見ぬ世界への憧れを膨らませていた。広がる大陸、響きの美しい都市、名も知らぬ辺境の街々――その全てが、僕にとっては心の中の未知の冒険の舞台だった。変わった名前の島を見つけては、ノートにその名を丁寧に書き留め、いつか訪れる日を夢見て大事にした。僕にとって地図帳は、ただの本ではなく、無限の可能性を秘めた魔法の鍵だったのだ。
初めて旅の魅力に目覚めたのは、家族との年に一度の旅行。秋田の小さな町から東京や山梨へ向かう旅路は、僕にとってまさに大旅行だった。東京はテレビや映画でしか見たことのない、光り輝く大都市。車での旅行が多かったうちの家族は、父と叔父が交代で夜通し運転しながら長い距離をよく旅をした。
夜の東北道、車窓から流れるオレンジ色の街灯の光。夜の東北道をひたすら南へ、南へ。車窓から見える高速道路のオレンジ色のライトが、少年の頃の私には旅情を感じさせるものだった。暗闇の中を南へ、南へと進む度、心は高鳴り、まだ見ぬ世界への期待が溢れた。そして東京の光が遠くに見えた瞬間、その心躍る感覚――「もうすぐ東京だ!」というあの瞬間を、僕は一生忘れることができない。
その旅の途中、サービスエリアでの立ち寄りや、知らない街のファミレスでの食事すら、僕にとっては特別だった。新しい場所でのささやかな体験こそが、僕を旅に引き込んだのだ。
小学生になったある日、僕は一人で山梨の従兄弟に会いに行く計画を立てた。時刻表を見ながら、お年玉を貯め、いよいよその夢の旅を実現する準備を進めた。父に計画を見せると、彼は僕を旅行会社へ連れて行き、旅程をより詳細に整えてくれた。新幹線のチケットを手配しながら「気をつけて行って来い」と送り出してくれた。両親は、東北の田舎に住む少年が一人で東京を経て山梨まで行くことを「無理だ」とは考えず、逆にその挑戦を応援してくれた。
盛岡から東北新幹線に乗り、僕は一人で初めての大遠征へ。新幹線のビュッフェ車両で、コーラを注文しながら窓の外を眺める瞬間――その時感じた自由と興奮は、今でも心に鮮明に残っている。
この旅の成功が自信となり、中学時代にはさらに大きな夢を抱いた。叔父がパリに移住すると聞き、僕はパリへの一人旅を計画した。地図やガイドブックを読み込み、パリの街角やカフェ、美術館を夢見た。しかし、当時の僕のお年玉ではその夢を叶えることはできなかった。それでも、その時得た知識や夢は、後に大人になってパリを訪れた時に、僕の旅を彩るものとなった。
そして、時が流れ、今では美術史の研究や個人旅行を通して国内外の多くの場所を訪れている。少年の頃から続く旅への情熱は、どれだけ歳を重ねても変わらない。新たな景色を見たい、異国の空気を吸いたい――そんな渇望は、今も私の心の奥底で燃え続けている。
新型コロナウイルスの影響も落ち着き、再び自由に旅に出られる時が戻ってきた。だからこそ、これからも僕は、まだ見ぬ世界へ旅立つ準備を怠らない。少年の頃に抱いたあの地図帳の夢を、これからも追い続けるだろう。
— 2024年初秋
Photo and Writing by Hasegawa, Koichi