はじめに
今回のテーマは、ピカソと『四匹の猫』。ピカソは動物を愛したことで知られます。彼の飼っていた犬や鳩を取り上げた作品は有名ですね。でもこの『四匹の猫』は、彼のペットではなく、カフェの名前。
ということで、今回はこの19世紀末から20世紀初頭のバルセロナのアートシーンを牽引したカフェ『四匹の猫』を紹介します。
このカフェは、若き日の巨匠パブロ・ピカソの足跡でもあります。彼のファンは、バルセロナの街と『四匹の猫』は、いつか訪れたい場所ですね。
また、なぜ「カフェがアートシーンを牽引した」となるのでしょうか。その辺りも解説していきます。
1. バルセロナの『四匹の猫』とは
バルセロナ市内のムンシオー通りにある『四匹の猫』は、1897年から1903年の短い間でしたが、当時のカタルーニャにおけるアートの震源地でした。
当時カフェ(現在はレストラン)として営業していた『四匹の猫』は、ヨーロッパの他の都市にある名だたるカフェと同様に、アートとは切っても切れない存在だったんです。

次に『四匹の猫』を紹介する前に、ざっとヨーロッパカフェ文化を見てみましょう。
カフェとそこにあった文化は、19世紀から20世紀初頭にかけ、ヨーロッパで化学反応を起こしていた重要なものだったんです。
2. ヨーロッパのカフェ文化:アートの震源地としてのカフェ
芸術家が集うヨーロッパのカフェ文化は、パリやウィーンで特に有名です。
パリのカフェ・ゲルボアでは、マネやドガなどが夜な夜な芸術について語り、モンパルナスでは、エコール・ド・パリのアーティストが集うカフェが点在していました。
ウィーンでも、クリムトやオットー・ワーグナーなどが集ったカフェ・ムゼウムが有名です。
画家や詩人、小説家、歌手、作曲家、政治家やパトロンであったりが集ったのが、当時のヨーロッパのカフェです。
こうしたカフェの歴史をみていくと、ヨーロッパのカフェ文化と芸術は、密接な関係があることがわかってきます。
そこでは、どのような芸術論議が繰り広げられていたのでしょうか。掘り下げていくには面白い分野ですよね。
新しい芸術は、カフェから沢山生まれてきたと言ってもよいくらいです。そこでの人間関係や交流、情報交換、議論。こうして、同じ志を持ったアーティスト達が、色々な芸術グループを作っていきます。また、触発しあったりもしたでしょう。まさに化学反応が起こっていた場所でした。
3. 『四匹の猫』と「モデルニスモ運動」
バルセロナの『四匹の猫』も、当時のアートムーブメントであったモデルニスモ運動の拠点として有名なカフェです。
モデルニスモとは、フランスやベルギーでのアールヌーボーやウィーンのユーゲントシュテルなどの芸術運動のように、スペインはカタルーニャで起こった新しいアート運動でした。

このモデルニスモを牽引するアーティストが集ったのが、『四匹の猫』。1897年に開店し1903年の閉店まで、ラモン・カザスやピカソをはじめ、芸術家達が集い議論をする場として賑わいます。
カフェ設立に関与したのは4人の人物、ラモン・カザス、サンティアゴ・ルシニョール、ミケル・ウトリーニョ、ペラ・ルメウ。
カザスとルシニョールは、当時のカタルーニャ画壇における巨匠で、あとの2人は主に実務面を担当しました。
四匹の猫という名前の由来は、カタルーニャ地方の口語で「少数の人数」を四匹の猫と言うところに由来するそうです。
4. カザスとピカソ
開店当時、既に大物芸術家だったラモン・カザスは、開業資金を提供して、雑誌「四匹の猫」を発行します。カフェには彼の指定席があったそうです。
カザスによって店内装飾用に制作された作品「タンデム式自転車に乗るラモン・カザスとペール・ロメウ」があります。オリジナルは、カタルーニャ国立美術館に所蔵されています。

カザスは肖像画で名声を得ましたが、ポスター作家としても一流。こういった雰囲気の中にある彼のポスターは非常に映えますね。さすがカザスと言えます。
そして、当時若手だったパブロ・ピカソも足繁くここへ通いました。
1899年には初個展をここで行い好評を得ます。1900年の個展には、150点を出品し大成功を収めて、その後パリへと活動拠点を移します。
ピカソにとっても、四匹の猫は、飛躍への足掛かりとして重要な場所だったんですね。

近くの大聖堂前にはカタルーニャの伝統を描いたピカソ・ウォール (写真上) があったり、有名なピカソ美術館など彼の足跡を訪ねるのも面白いです。
現在は、同じ場所に、当時の雰囲気のまま再現された「レストラン」として営業している四匹の猫。
19世紀末に想いを馳せて食事、きっとバルセロナの夜の素敵な思い出になります。
『四匹の猫』への行き方
バルセロナの旧市街を散策しているとゴシック地区といわれる地区があります。この地区にあるピカソ美術館を訪れてみるのをお勧めします。
その後『四匹の猫』で食事といきたいですね。
地図
終わりに:あれ?ガウディはどこ?
当時を代表する芸術家といえば、あのサグラダ・ファミリアを設計したアントニ・ガウディ(1852-1926)がいます。しかし、彼は『四匹の猫』での議論に熱く加わってはいなかったそうです。この点に関しては芸術論の相違であったり、人間関係であったり、色々と想像できますが、これもまた面白いテーマですよね。

バルセロナのアート巡りとして、ガウディ建築群は外せません。
『四匹の猫』を訪ねたらガウディ建築も見て回りましょう。徒歩圏内にはカサ・ミラやカサ・バトリョもあります。これらの建築は、『四匹の猫』が閉店してから出来たものですが、例えばカサ・カルベット(1898-1900)は時期的にかぶりますね。
カルベット邸もそんなに遠くない距離にあります。

建築家でモデルニスモのもう一人の雄といえばリュイス・ドメネク・イ・ムンタネー(1850-1923)。彼の代表作の一つであるカタルーニャ音楽堂にもぜひ足を運びましょう。
ここは当時のカタルーニャ文芸復興運動の中心的な役割を果たした合唱団であるウルフェオー・カタラーのために建設されたコンサートホールで、今では世界遺産になっています。
ドメネクの作品もガウディとともに楽しみたいですね。
それにしても、19世紀の末、バルセロナは熱かったです。なんといっても若き日のピカソがその野心をギラギラさせて歩いていたでしょうし、カザスやガウディといった巨匠がウヨウヨしていました。
ガウディに関しての記事はこちら。
Photo and Writing by Hasegawa, Koichi