ルーブル美術館とギリシャ彫刻を代表する傑作『サモトラケのニケ』

はじめに

アートの殿堂、ルーブル美術館(パリ)。その壮大な空間の中に数多の名作を抱えています。中でも、ギリシャ彫刻の傑作「サモトラケのニケ」は、訪れる者を魅了してやまない存在です。この美しい像が持つ深い歴史や魅力を解説し、あなたを芸術の旅へと誘います。

ルーブル美術館(パリ)

1. ルーブル美術館と至宝「サモトラケのニケ」像

ルーブル美術館の紹介

ルーブル美術館は、芸術と歴史の宝庫として世界的に知られています。パリの中心部に位置し、その壮大な建築は訪れる者を圧倒します。元々は王宮だったこの美術館には、約38,000点もの作品が展示されており、古代文明から近代アートまで、幅広いジャンルのアートが揃っています。特に注目すべきは、ルーブルのシンボルともいえる「サモトラケのニケ」。この神々しい彫刻は、古代ギリシャの美と力を象徴しており、訪れる人々に永遠の感動をもたらします。ルーブル美術館を訪れれば、単なる観光地を超え、アートの奥深い世界に触れることができるでしょう。

1-1. ルーブル美術館は、歴代フランス王の宮殿だった

ルーブル美術館は、かつてフランス歴代の王たちの居城でした。しかし、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移って以降、この壮麗な建物は王室のコレクションを展示し、収蔵する特別な場所へと生まれ変わりました。

夜のルーブル美術館

ヴェルサイユは、ルイ13世時に狩猟用に建てられた屋敷で、その後ルイ14世が増築を命じます。彼は、同じくルーブル宮殿も増築させようとしますが、ヴェルサイユを気に入って移り住みます。

もし、彼がルーブルを増築させていたら、もっととんでもない宮殿になっていたかもしれません。

このルーブル宮殿が、美術館として開館するのは、1793年ヴィクトル・ユゴーの小説でも有名な「93年」ですね。そう、時代は革命の様相を現していた時期です。なので、教会や王室から没収した美術品が展示されました。公開は限定的でしたが、19世紀初頭には、一般公開されます。

540点ほどの作品展示から始まったルーブル美術館ですが、その後ナポレオン皇帝が各地から美術品を収集し、展示をはじめました。その後第二帝政期もコレクションは増えて、現在は38万点以上の美術品を擁します。

1-2. サモトラケのニケがルーブルへ来た!

サモトラケのニケは、1884年にルーブルへやってきます。フランス第三共和政の時期です。1884年は、フランスは清とベトナムを巡って戦争をしたりしていました。また、1889年にはエッフェル塔が登場する万国博覧会が開催されます。サモトラケのニケが、パリへやってきた時代は、そんな時代でした。

今も古代ギリシャを代表する彫刻として有名ですが、当時ルーブルにいた人たちや学者もその美しさには驚いたでしょう。

サモトラケのニケを後ろから見てみる

1-3. サモトラケのニケ概要:造られた目的は?

ギリシャ彫刻を代表する傑作であるサモトラケのニケは、紀元前190年頃造られたヘレニズム期の彫刻で、1863年にエーゲ海の北東部にあるサモトラキ島で発見されました。しかし、古文書に記録もないため、制作年の特定は難しそうです。

このニケ像は、紀元前2世紀の海戦で勝利に酔ったロードス島民が、奉納したとされます。

「海戦での勝利」ということですが、どの海戦であったのかは諸説があります。

対象の期間は、紀元前306年のサラミスの海戦から紀元前31年のアクティウムの海戦と、年代にも幅がありますね。あるいは紀元前190年のミオネサスの戦い、これは共和制ローマとシリアとの戦い、という説もあったそうです。

ミロのヴィーナス。ヘレニズムを代表するギリシャ彫刻。

ニケ像はその様式から、ギリシャ・クラシック期の作品というよりは、アレキサンダー大王によって東西が融合して出来た文化であるヘレニズム期の作品とされます。これは古代マケドニア王国が力を持っていた時代です。

もしニケ像が造られたのが、マケドニアが力を持っていた時期に重なるとすると、紀元前168年にマケドニア王国がローマに滅ぼされる前ということになります。制作年である紀元前2世紀の線が、ここでも出てきます。当時サモトラキ島は、マケドニア王国が支配していました。

しかし、発見された遺跡には、ローマ時代のものも多いらしく、製作年にはやはり謎が残ります。

ともあれ、ロードスの住民が、シリアとの戦いの勝利を記念して、サモトラキ島の航海安全の神カベイロスへ奉納したというのが有力と考えられています。

2. サモトラケのニケ:いかなる瞬間を表現しているのか

サモトラケのニケ像は、前述のように、海戦に勝った民が奉納したとされます。よって、ニケ(女神)が乗っている台座は船。そう、船の先端にニケが舞い降りた瞬間を表しているんですね。天からまさに「女神が勝利を祝して舞い降りた」瞬間です。

2-1. ニケ像を色々な角度で楽しむ

ルーブルに行った時、「うわー、今にも飛び立っていきそう!」妻が隣でささやきました。ちょうど日が差してきたので、天蓋の下から写真を撮ってみると、うん、まさに今飛び立っていきそうに見えますね。

美しい彫刻は、どの角度から見ても美しいし、人によって捉え方もまた様々ですね。優れた芸術品、例えばダヴィンチのモナリザやマネのフォリーヴェルジェールなども時が経っても解釈は様々。これが美術の面白さでもあります。

ともあれ、この彫刻は、天から降りてきた女神を表現しているということです。

それではサモトラケのニケを詳しく見てみましょう。

3. 女神が舞い降りたシーンとニケの美しきドレスの表現

サモトラケのニケのポーズからわかるのは、舞い降りた場面ということです。この動作をよく理解するには、鳥が地面に降り立つ時の翼の動作を思い出してみるといいですね。大きな鳥は地面に着地する時、翼を大きく羽ばたかせます。それで空気のかたまりを作り出して、その風圧によって着地するイメージです。

また、胸をを少し突き出した姿勢も、降り立った直後を表現していると言われます。

3-1. ニケの衣装:キトン

サモトラケのニケ像は、キトンと呼ばれる薄い亜麻製のドレスを着ています。ドレスは足元まで落ちていて、その作り出す衣紋がとても美しい。

それにしてもこのニケの優雅さはどうでしょうか。天から「フワッと」重力を無視したかのように優雅に降り立つ。

その表現力とドレスの波立つ衣紋の美しさ。

そしてその見事な身体表現。

この古代の芸術家は、物凄い物を残してくれたものです。

窓からの日の光がニケ像を暖かく包む

4. サモトラケのニケ像の翼部分の美しさ

僕が大好きな好きな翼部分。美術書で見たときは「ハッ」と心を動かされたその美しい翼をルーブルでも堪能しましょう。

1863年に、最初に発見され部分は胴体部分で、その後に翼部分が見つかります。断片は100以上にものぼるそう。

5. サモトラケのニケ像が発見されたサモトラキ島

サモトラキ島は、古代世界のなかでも比較的地味な島でした。フェンガリ山に代表される山岳地帯が島の大部分を占めるため、良港や生産物にもあまり恵まれない島です。

しかし、ここには宗教儀式をする神殿があったそうで、その神殿群からサモトラケのニケも発見されました。そう、神殿跡は、前述したカベイロス信仰のものと考えられます。カベイロスは、豊穣の神

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エーゲ海にはたくさんの島々が。

もしあなたがギリシャへ旅をする機会があれば、エーゲ海に浮かぶサモトラキ島へ!

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6. ギリシャ美術についてのオススメ本

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Photo and Writing by Hasegawa, Koichi



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