ヴェトゥイユでのモネ
モネは、1878年9月から1881年までの約3年間、セーヌ川沿いの静かな村ヴェトゥイユに暮らしていました。この時期、彼は30代後半。芸術家として重要な転換期を迎えていました。
それ以前、モネはパリ近郊のアルジャントゥイユに住んでいましたが、経済的に厳しい状況に直面していました。
印象派のリーダー的存在でありながら、作品の売れ行きは芳しくなく、家賃の支払いも困難に。友人のエドゥアール・マネから借金をして家賃を清算し、パリを離れる決断をします。彼が選んだ新たな住まいが、セーヌ川を下った小さな村、ヴェトゥイユでした。

ヴェトゥイユは、パリの喧騒から離れた静寂に包まれ、モネにとって理想的な創作の場となりました。自然豊かなこの地で、モネは日々の生活に苦しみながらも、光と色彩に対する鋭敏な感覚を研ぎ澄まし、新たな表現技法を模索していきます。この時期に描かれた作品には、彼の独自の色彩感覚がより一層際立ち始めます。
ヴェトゥイユでの生活は、モネの絵画スタイルがより成熟し、芸術家としてのアイデンティティを確立する大きな契機となります。経済的困難にもかかわらず、彼の創作意欲は衰えることなく、この地で数々の傑作を生み出したのです。


ヴェトゥイユへの旅
ヴェトゥイユは、パリから北西に約60kmほどの所に位置します。
僕はパリのサン・ラザール駅から電車に乗り、マント=ラ=ジョリーに向かい、そこから友人の車でヴェトゥイユを目指しました。もちろん距離的には、パリから車でも十分行けます。


ヴェトゥイユのモネ宅
ヴェトゥイユ周辺は、セーヌ川が蛇行している地域で、村自体はセーヌ川右岸にあたります。モネと家族が住んでいた家は、現在クロード・モネの名を冠した通り沿いにあります。

この辺りはとてものどかです。車でしばらく走るとモネの暮らした家の前に着きます。車を降りてゆっくり散策してみるのもいいですね。

家の壁や周辺にはモネの説明が書かれています。彼の住んだ家の事、家の周辺にキャンバスを置いて描いた作品の紹介などなど。

ヴェトゥイユ時代のモネ
モネと彼の家族がヴェトゥイユに移り住んだ時期は、前述したように彼の人生の中でも特に困難な時期でした。経済的苦境の一因は、モネのパトロンであった実業家エルネスト・オシュデの事業が破綻したことにあります。これにより、モネはこれまで住んでいたパリ近郊のアルジャントゥイユを離れ、より田舎のヴェトゥイユに移らざるを得なくなりました。
さらに複雑だったのは、モネ一家が移住する際に、オシュデ氏の妻アリスと彼女の7人の子供たちも同行したことです。アリス・オシュデとモネの間には、不倫関係の噂が絶えず、その同居は当時の人々にとって奇妙なものに映ったことでしょう。
ひと夏の仮住まいとして始まったヴェトゥイユでの生活は、結果として3年もの長期滞在に変わり、その間にモネは幾多の試練に直面します。
特にモネを苦しめたのは、妻カミーユの病状の悪化でした。彼女はヴェトゥイユ滞在中に健康を崩し、モネの困窮した経済状況では、満足な治療や看病を受けさせることができませんでした。1879年にカミーユが亡くなったとき、モネはその喪失感と罪悪感に苛まれました。オシュデ夫人との関係もまた、複雑な心境を生んでいたのは間違いありません。

モネがこれほどの葛藤を抱えながら過ごしたこの地で、彼は日々の生活と向き合い、作品を生み出し続けました。現在でもヴェトゥイユには、モネがかつて住んでいた家が残っており、その家を眺めるとき、彼を取り巻いていた人間関係や葛藤の記憶が甦るようです。
この静かな村で、彼は芸術家としての成長を遂げる一方で、個人的な苦しみとも闘い続けました。その影響は、彼の作品に深く刻み込まれているのです。

モネの家に泊まれる!
実は、この建物に泊まる事が出来るみたいです。僕は泊まリませんでしたが、機会があれば是非ゆっくり滞在してみたい。のどかな地域で、景観もよく、静かにモネに浸れるでしょう。それにフランスの田舎はとても美しい。
詳細は、下記のサイトから。
http://escale-chez-un-impressionniste.com/chambre-double-limpression-bleue/


この地域は、日本の観光ガイドブックや、その他案内にもあまり載っていないため、現地に行くのは少し大変かもしれないです。しかし、フランスの田舎に来たなー!という旅情に浸れること間違いなしです!
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