マッターホルンを見上げて|ツェルマットで出会ったアルプスの孤高の山

自分にとっての「北壁」

マッターホルンを見上げていると、登山家ではない自分にも、考えさせられることがあった。

もちろん、僕が実際に北壁を登るわけではない。
氷壁を越え、岩に取りつき、命をかけて頂を目指すことはできない。
それでも、山に挑む人々の記録を読むと、自分自身の人生にも、どこかに「北壁」のようなものがあるのではないかと思えてくる。

それは、目に見える山ではない。
けれども、越えたい壁であり、近づくほど怖くなる目標であり、簡単には諦めたくない何かである。

人は誰でも、自分にとっての山を持っているのかもしれない。
誰かから見れば小さな丘のように見えるものでも、自分にとっては巨大な壁であることがある。
反対に、他人には理解されなくても、自分だけがどうしても登りたい山もある。

マッターホルンを前にすると、そうした自分自身の目標や弱さが、少しだけ照らし出される。
美しい山を見ているはずなのに、どこか自分の内側を見ているような感覚になる。

山の風景には、そういう力がある。

ツェルマットから見るマッターホルン
ツェルマットから見るマッターホルン。Photo by HASEGAWA, Koichi

マッターホルンが残した余韻

旅の風景には、見るだけで心に残るものがある。
マッターホルンは、まさにそういう風景だった。

山は遠くにある。
けれども、その姿は強く心に入ってくる。
鋭い頂、影を含んだ岩肌、雪の白さ、空の青さ。
それらが一枚の絵のように見える瞬間がある。

しかし、マッターホルンの記憶は、単なる美しい山の記憶では終わらなかった。
登山の歴史を知り、北壁への挑戦を思い、ツェルマットの街を歩いたことで、この山はもっと複雑な存在になった。

眺める山。
挑む山。
人を惹きつける山。
人を拒む山。

そのすべてが、マッターホルンの中にある。

ツェルマットでこの山を見上げた時間は、今も強く残っている。
ただ美しいからではない。
その美しさの中に、人間の憧れ、恐れ、挑戦、そして小ささが重なっていたからだと思う。

スイスを旅するなら、マッターホルンを見に行く価値は十分にある。
けれども、ただ写真を撮るだけではもったいない。
少しだけ、この山に挑んだ人々のことを思い浮かべながら眺めてみる。

そのとき、マッターホルンは観光地の名峰から、もう少し深い旅の風景へと変わるはずである。

筆者について

長谷川浩一|美術史家・講師・執筆

旅先で出会った街角の光、夜の気配、建築や風景に残る時間の層を、
写真と言葉で記録しています。
東京では西洋美術史講座 Edogawa Art Salon, Tokyo を開き、
noteでも美術や旅にまつる文章を書いています。

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