2026年、サグラダ・ファミリアは新たな段階へ
サグラダ・ファミリアは、長いあいだ「いつ完成するのか」と語られてきた建築である。
ガウディの生前には、ごく一部しか完成していなかった。
彼の死後も、スペイン内戦、資料の散逸、資金難、そして近年のパンデミックなど、さまざまな困難を経ながら建設が続けられてきた。
そのサグラダ・ファミリアにとって、2026年は特別な年になった。
ガウディ没後100年にあたるこの年、中央の塔が完成し、聖堂は世界で最も高い教会として新たな姿を見せることになった。
もっとも、これでサグラダ・ファミリア全体が完全に完成したわけではない。
だからこそ、この建築は今も「完成した記念碑」ではなく、「建設され続ける聖堂」として存在している。
そこがサグラダ・ファミリアの面白さでもある。
完成を待つ建築ではなく、完成へ向かう時間そのものを見せてくれる建築なのだ。
モンセラットを歩いたあとで、サグラダ・ファミリアを見る
バルセロナを旅するなら、サグラダ・ファミリアだけを見るのももちろん素晴らしい。
けれど、少し時間があるなら、ぜひモンセラットまで足を伸ばしてみたい。
モンセラットの岩山を見る。
修道院を歩く。
黒い聖母子像への信仰に触れる。
そのあとで、バルセロナへ戻り、サグラダ・ファミリアを見上げる。
すると、あの塔や曲線、彫刻の意味が少し違って見えてくる。
ガウディは、ただ奇抜な形をつくった建築家ではない。
自然の構造を観察し、それを信仰の空間へと変換しようとした建築家である。
そのことを理解するうえで、モンセラットはとてもよい入口になる。
自然が建築を生み、建築が信仰を形にする。
モンセラットとサグラダ・ファミリアをつなげて歩くと、カタルーニャの風景と芸術が、ひとつの大きな物語として立ち上がってくる。
旅する美術史としてのモンセラット
モンセラットは、絶景を楽しむ場所である。
同時に、信仰の場所でもある。
そして、ガウディとサグラダ・ファミリアを考えるための、美術史的な場所でもある。
岩山の奇妙な輪郭。
修道院の祈り。
黒い聖母子像への巡礼。
そして、バルセロナの空へ伸びるサグラダ・ファミリアの塔。
これらは別々のものではない。
カタルーニャという土地の中で、自然、信仰、建築、芸術が深く結びついている。
モンセラットを訪れることは、ガウディの建築を別の角度から見ることでもある。
サグラダ・ファミリアの前に立つだけでは見えなかったものが、岩山の風景の中で見えてくる。
だから、モンセラットは「旅する美術史」にふさわしい場所だと思う。
美術史は、美術館の中だけにあるのではない。
山の形、聖地の空気、都市の建築、そしてそこを歩く身体の中にもある。







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