暮らすように歩くパリ
パリを旅するとき、最初はどうしても名所を見たくなる。
それは自然なことだ。
ルーヴルへ行き、オルセーへ行き、セーヌ川沿いを歩き、エッフェル塔を眺める。
けれど、少しパリに慣れてくると、別の楽しみ方が見えてくる。
何かを見に行くのではなく、その街に身を置くように歩く。
サン・マルタン運河周辺は、そのための場所だと思う。
高級住宅地の洗練とは違う。
観光地の華やかさとも違う。
ここには、もう少し生活に近いパリがある。
運河沿いの道を歩く。
橋の上で立ち止まる。
気になる店に入る。
カフェで少し休む。
ベンチに座って、ただ水面を見る。
こののんびりした感じ。これが最高。
このあたりには、近年おしゃれな店も増えている。
けれど、街全体の印象は、どこか懐かしい。
古いパリの下町と、今の若い感覚が混ざり合っている。
その混ざり方が、サン・マルタン運河らしさなのだと思う。
水辺のパリ
パリといえば、まずセーヌ川を思い浮かべる。
セーヌ川は、パリの歴史と美術と文学を抱えた大きな川である。
一方で、サン・マルタン運河はもっと小さく、親密な水辺だ。
セーヌ川が都市の大きな軸だとすれば、サン・マルタン運河は、街の中にひそむ細い記憶のようなものかもしれない。
水面は静かで、周囲の建物や木々を映している。
橋を渡るたびに、少しずつ風景が変わる。
観光船が行き交うセーヌとは違い、ここではもっとゆっくりした時間が流れている。
旅先で水辺を歩くのは楽しい。
水は、街の音を少しやわらかくする。
人の歩く速度も、自然とゆっくりになる。
サン・マルタン運河を歩いていると、パリの別の表情に出会うことができる。
華やかなパリではなく、少し内省的で、少し映画的で、どこか日常に近いパリである。
この街に似合う音
サン・マルタン運河を歩くなら、音楽を合わせてみるのもいい。
まず思い浮かぶのは、やはり『アメリ』のサウンドトラックだ。
ヤン・ティエルセンの音楽には、パリの路地を歩くときの少し不思議な軽さがある。
どこか懐かしく、少しユーモラスで、でもふっと寂しさもにじむ。
この界隈には、ジャズもよく似合う。
ジェリー・マリガンのような軽やかなサックスの音もいいし、シドニー・ベシェのクラリネットやソプラノサックスも、パリの夜を思わせる。
パリの街には、アメリカから来たジャズが不思議なくらい自然に溶け込む。
カフェ、夜、石畳、水辺。
その組み合わせに、ジャズの音がよく合う。
もう少し静かに歩きたいなら、アコースティックギターもいい。
マイケル・ヘッジスのような透明感のある音は、夕暮れの運河に似合う。
ただ、実際には音楽を流さなくてもいいのかもしれない。
水の音、足音、話し声、カフェのざわめき。
それだけでも、サン・マルタン運河には十分な音がある。
映画の記憶が残る水辺
サン・マルタン運河周辺は、パリの中でも少し特別な場所だった。
有名な建築を見上げる場所ではなく、大きな美術館へ向かう場所でもない。
ただ歩く。
水辺に立つ。
橋を渡る。
映画の場面を思い出す。
カフェに入り、また歩く。
その繰り返しが楽しい。
『北ホテル』の古いパリ。
『アメリ』の少し夢見るようなパリ。
そして、今そこにある生活のパリ。
サン・マルタン運河では、それらがゆっくり重なっている。
パリを初めて訪れる人にも、何度か訪れた人にも、この界隈を歩く時間はきっと心に残ると思う。
観光名所を巡るだけでは見えてこない、もう少しやわらかなパリがここにはある。
サン・マルタン運河の水辺を歩くと、パリという街が少し身近になる。
それは、旅人としてではなく、ほんの少しだけこの街に暮らしているような感覚だった。








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