ゴッホがオーヴェールへ移った理由
ゴッホがオーヴェール・シュル・オワーズへ移り住んだ理由のひとつに、ガシェがこの村に住んでいたことがあります。
弟テオは、兄を診てくれる理解ある医師を探していました。
そのとき紹介されたのが、カミーユ・ピサロやポール・セザンヌらとも親交があり、自身も芸術に理解のあったガシェでした。
彼はかつてパリで開業していましたが、家族の事情もあり、やがてオーヴェールに移り住んでいました。
この移住は、ゴッホにとって大きな意味を持っていたと思います。
南仏アルルやサン=レミの光の強い世界を離れ、より北方的で、故郷オランダを思わせる落ち着いた風景の中へ移ること。
そして、その土地に自分を診てくれる医師がいること。
オーヴェールは、療養の場所であると同時に、最後の制作の場でもありました。
ゴッホとガシェの交流
ゴッホのガシェへの第一印象は決して良いものではなかったかもしれません。
しかし、その関係は徐々に変わっていきます。
妹ヴィルへの手紙の中でゴッホは、ガシェについて「非常に神経質で、とても変わった人だ。体格の面でも、精神的な面でも、僕にとても似ているので、まるで新しい兄弟みたいだ」といった趣旨のことを書いています。
ここには、単なる患者と医師という関係を超えた共感が感じられます。
ゴッホはガシェの中に、自分と似た憂鬱質な気配を見ていたのでしょう。
だからこそ彼は、最初の警戒を越えて、やがてこの人物にある種の親しみを抱くようになったのかもしれません。

ガシェはしばしばゴッホを自宅に招き、食事をともにしたといいます。
ゴッホは彼の家の庭も何度か描いていますし、テオ一家がオーヴェールを訪れたときも、ガシェ家はゴッホにとって穏やかな交流の場だったはずです。
ゴッホの最後の二か月は、しばしば悲劇的な終幕としてだけ語られがちです。
もちろんその結末は痛ましい。
けれど、その二か月のあいだには、こうした人との交流や、束の間の安らぎも確かに存在していました。
そのことを忘れずにいたいと思います。
《ガシェ医師の肖像》を見る
ゴッホが描いた《ガシェ医師の肖像》は、彼の人物画の中でもとりわけ有名な作品です。
肘をつき、頬に手を当てた姿勢。
その表情には、疲労、憂い、内省が入り混じって見えます。

この絵でまず目を引くのは、ガシェのメランコリックな雰囲気です。
ルネサンス以来、西洋美術史において「メランコリー」はしばしば知性や芸術家気質と結びついて表現されてきました。
《ガシェ医師の肖像》もまた、その系譜の中で読むことができる作品でしょう。
ゴッホは、ガシェを単なる「診察する医者」としてではなく、どこか自分と似た憂鬱質の人間として見ていたのではないかと思います。
この絵の魅力は、モデルの性格だけでなく、画家自身の感情もにじみ出ているところにあります。
そこには医師への観察があり、友情があり、同時に自分自身を映し返すような感覚もある。
だからこの肖像画は、ガシェを描いた作品であると同時に、ゴッホ自身の心象もまた宿しているように見えるのです。



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