ボローニャを歩く|モランディの静物画とポルティコの街

ボローニャの中心マッジョーレ広場には彫刻家ジャンボローニャ作の泉が。

ボローニャを歩く

今回はイタリア北部の街、ボローニャを歩く旅である。

ボローニャと聞くと、まず思い浮かぶのはボロネーゼかもしれない。
美食の街。
大学の街。
赤煉瓦とポルティコの街。

けれど、僕にとってボローニャは、画家ジョルジョ・モランディの街でもある。

モランディは、二十世紀イタリアを代表する画家のひとりである。
瓶、壺、器、箱、花。
彼は生涯を通じて、身近な静物を繰り返し描き続けた。

派手な画家ではない。
劇的な物語を描くわけでもない。
大きな歴史画を描くわけでもない。

けれど、モランディの作品を見ていると、不思議と目が離せなくなる。
静かで、地味で、ほとんど何も起こっていないように見える。
それなのに、ずっと見ていたくなる。

そのモランディが生涯を過ごした街が、ボローニャだった。

ボローニャの街並み
ボローニャを歩いてみます。Photo by HASEGAWA, Koichi

モランディの静けさ

僕がモランディの作品を初めて実際に見たのは、東京八王子にある東京富士美術館だった。
それ以前から名前は知っていたが、本物を前にすると、図版で見るのとはずいぶん印象が違った。

その後、ヨーロッパでも何度かモランディを見た。
中でも印象に残っているのが、ヴァチカン美術館で見たモランディである。

ヴァチカン美術館といえば、ミケランジェロ、ラファエロ、古代彫刻、ルネサンス、バロック。
どうしても壮大で古典的なイメージが強い。

その展示室の中に、突然モランディの作品が現れた。
その静けさが、かえって強く印象に残った。

モランディの絵は、大声で語りかけてこない。
こちらに説明を迫ることもない。
ただ、瓶や壺が、淡い色の中に静かに置かれている。

しかし、しばらく見ていると、画面の中の関係が少しずつ見えてくる。
瓶と瓶の間隔。
テーブルの水平線。
影のわずかな濃淡。
背景と物の境目。

何気ないものが、どれほど繊細に置かれているのかが、だんだんわかってくる。

繰り返し描くということ

モランディの作品は、同じようなものばかり描いていると言われることがある。
たしかに、モチーフは限られている。
瓶、器、壺、箱、花瓶。

けれど、その「同じようなもの」の中に、驚くほど豊かな違いがある。

少し置き方が変わる。
光が変わる。
色が変わる。
背景との距離が変わる。
それだけで、画面全体の空気が変わる。

モランディの絵を見る面白さは、そこにある。
大きな物語ではなく、小さな差異を見つめること。
劇的な変化ではなく、静かな変化に気づくこと。

その意味で、モランディはとても現代的な画家でもある。
派手な前衛ではないが、視覚のあり方そのものを問い直している。

瓶や壺は、ただの物ではない。
画面の中で、それらは互いに距離をとり、沈黙し、かすかな緊張関係をつくる。

その静物の空間には、どこかシュールな感じもある。
日常のものを描いているのに、現実から少しだけ離れて見える。

セザンヌがリンゴや瓶を通して絵画空間を探ったように、モランディもまた、身近な静物を通して絵画の可能性を探っていたのだと思う。

モランディの花

ボローニャで印象に残ったのは、モランディの花の絵だった。

モランディといえば、瓶や壺の静物画の印象が強い。
けれど、彼の花の絵もとても美しい。

花と言えば、ルドンの花を思い出すことがある。
ルドンの花には、夢のような色彩と幻想性がある。
それに対して、モランディの花は、もっと静かで、抑えられている。

しかし、その抑制の中に、深い美しさがある。
華やかに咲き誇る花ではない。
部屋の中で、静かに光を受けている花。

モランディの花は、図版ではなかなか伝わりにくい。
実物を見ると、淡い色の層や、微妙な質感が、ゆっくりと目に入ってくる。

派手ではない。
けれど、忘れがたい。

モランディの魅力は、まさにそこにあるのだと思う。

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