はじめに
今回のテーマは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770-1827) とナポレオン・ボナパルト(1769-1821)。同時代を生きた二人だが、実際に会ったといった記録はないようだ。しかし、ナポレオンの革命精神に「民衆の英雄」を見ていたベートーヴェンは、当初第3交響曲「英雄」をナポレオンを思って作曲するほど賛美していたとされる。
今回は第3交響曲「英雄」を巡ってみたいと思う。
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パリ・凱旋門とベートーヴェンの関係
パリのエトワール広場にある凱旋門を見ると、ベートーヴェンの「英雄」交響曲を思い出すのは僕だけだろうか。
この凱旋門は、ナポレオンが皇帝になった1804年から2年後の1806年に建造が始まった。前年のアウステルリッツの戦いの勝利を記念してのものだ。彼の権力はこの時期に頂点に達する。
ベートーヴェンは、1804年にナポレオンが皇帝に即位したのを聞いて激怒し、この第3交響曲の献上を止めたという逸話があるが、この話のインパクトが大きいせいもあって、自分にとってナポレオンが即位後に建造を命じたこの凱旋門は、いつもベートーヴェンを想起させる。
完成は1836年。すでにナポレオンは世を去っており、フランスは7月王政の時代になっていた。
ベートーヴェンとナポレオンの関係性
ベートーヴェンは、ナポレオンを尊敬していたとされる。時代の寵児であったナポレオンとベートーヴェンにはどんな関係があったのであろうか。
ドイツ・ボンと啓蒙思想
彼の出身地であるドイツのボンは、当時啓蒙思想が流行っていたそうだ。この思想は、身分や生まれの違いも、人間の叡智によって乗り越えることができる事を理想とした。これをいち早くフランスは革命で成し遂げたため、ベートーヴェンはフランスを理想として考えていたとされる。そのため彼は、革命の申し子ナポレオンを英雄視していたし、交響曲第3番の表紙にはボナパルトと書かれていた。
諸説はあるが、やはり作曲を始めた段階では、ナポレオンを意識していた曲として考えていいだろう。
ところで、ナポレオンは数度に渡りベートーヴェンに演奏の依頼をしていたとする話もあるが、ベートーヴェンはその都度断っていたそうだ。なんとも彼ららしい話だが、実現していたらどうなっていただろうと想像すると少しワクワクする。
ベートーヴェンは、この第3交響曲を自身の最高傑作としてあげることもあったそうだ。もしそんな彼の交響曲を演奏会で聴く機会があったなら、彼とナポレオンの話を思い出してみてはどうだろう。第一楽章の勇壮な展開は英雄ナポレオンを表現しているのか、第二楽章の葬送行進曲はどんな意味があるのかなど想像しても面白い。
(旅情報)ドイツ・ボンにあるベートーヴェン・ハウス
ここはベートーヴェンの生家であり、現在は博物館として開放している。1770年12月16日(あるいは17日)にここの屋根裏部屋でベートーヴェンは生まれた。
ここでは様々な展示が見られるのをはじめ、アーカイブやベートーヴェンの肖像画や彫像などが展示されている。ボンを訪れたら必ず訪れたい場所だ。
ベートーヴェンハウスの場所
交響曲第三番「英雄」名盤紹介
個人的によく聴く第3交響曲はカラヤンの演奏。ベートーヴェンなどのドイツ系作曲家のものは、ベルリンフィルが素晴らしい。
こちらも素晴らしい演奏。
カラヤンの演奏は映像で観たいですね。こちらもオススメ。
世界一美しい音色を出すと称されるウィーンフィルの演奏も素晴らしい。こちらはバーンシュタイン指揮。
Photo and Writing by Hasegawa, Koichi
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