はじめに
ルノワールの傑作である『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(オルセー美術館、パリ)。
楽しそうなパリの午後を描いたこの作品は、印象派のいいところが沢山詰まっている傑作です。
今回は、このルノワールの傑作とモンマルトル散歩を取り上げます。
モンマルトル
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 』(1876)
この作品は、モンマルトルにあった「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というダンスホールでルノワールがカンヴァスを運んで描いたもの。
実際は、131x175cmのカンヴァスを毎回運ぶのは大変だったため、小さいものを持って行き、現場で描いた物を後に参照にしたりして完成にもっていったという話もあります。彼のアトリエも近くにあったそうです。
このダンスホールは、製粉所を家業としていたドブレー親子が改装したもの。
ルノワールが製作した時期も、風車 (ムーラン)は残していたため、お客さんのいい目印になりました。入場者にはギャレットというお菓子を配ったそうです。
ここには庶民、学生や芸術家たちが毎週日曜の午後から深夜まで開かれていた舞踏会に、喜々として集いました。ルノワールは、こうした当時の流行を描いたんですね。
ルノワールの表現した美しき木漏れ日の光表現
作品にはルノワールの親しい友人達が描かれています。友人達はモデルもやりましたし、カンヴァスを運ぶのを手伝ったりと、あらゆる面でルノワールに協力しました。もともと明るい作風のルノワールですが、この作品からは特に楽しい雰囲気が伝わってきます。
見事なのが、木漏れ日の光の表現。
ダンスをしている人にも動きがあり、そこに移ろいゆく木漏れ日があたり、光も踊っているかのように見えます。刻々と輝き移る光の動きを見事に描いていますね。
ルノワールは、「この光」が出てくる時間に現場へ赴き筆を取りました。
ダンスホールでの人々の動きと光の輝きが、目の前で起こっているかの印象を我々鑑賞者に与えるルノワールの傑作です。
モンマルトル散歩
芸術の都パリ。美術館やギャラリーの他に、アーティストゆかりの地や、描かれた風景を求めて街歩きをするのもいいですよね。
モンマルトルは、そんなアートファンにはたまらない地域で、連日多くの人で賑わっています。
僕もそんな一人。
モンマルトルを歩くと、
「あぁ、ここら辺にピカソが住んでいたんだよな」
とか
「ロートレックが毎晩のように通ったムーラン・ルージュか」
などと、ワクワクしながら歩けるんです。
洗濯船跡 ラヴィニャン通り13番地:ピカソが「アヴィニョンの娘たち」(1907)を描いた場所として知られる。キュビズム誕生の場所。
モンマルトルには、「ムーラン」が沢山
モンマルトルを歩いていると、ムーランと名がついた所を見かけます。ルノワールが描いた『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』やロートレックが通いつめた「ムーラン・ルージュ」も有名ですね。
このムーランというフランス語の意味は、「風車」。そう、昔のモンマルトルには、風車があったそうです。
モンマルトルは、19世紀半ばにパリ市に編入されるまでは、いわば郊外の田舎でした。のどかで、風車や畑があった所だったそうです。
よって、ルノワールが『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を作品を描いた時代も、田舎の雰囲気が残っていたそうで、パリの他の高級地と比べ、庶民が集いやすい地域だったんですね。
ちなみに、「ムーラン・ルージュ」は、1889年にモンマルトルに開店したダンスホール/キャバレー。フランス語の意味は、「赤い風車」。フレンチカンカンが有名です。ロートレックは、ムーラン・ルージュに開店当時から通いつめ、沢山の作品を描いています。
ユアン・マクレガーとニコール・キッドマンが主演した映画も有名です。ムーラン・ルージュを舞台にした映画は、いくつかありますが、これが近年では一番有名です。ビートルズやマドンナの曲に合わせて踊るミュージカルラブストーリー。
ムーラン・ルージュ:ロートレックが通ったダンスホール。
ルノワールでオススメの本
個人的に好きな一冊なのが、「はじめてのルノワール(色彩飛行」。写真も綺麗で、鑑賞に必要な情報も書かれています。時代背景も面白いです。
そして、「ルノワールへの招待」。解説はもちろん程よいです。代表作をガッチリ楽しめます。
モンマルトル関連で一番オススメなのが、「モンマルトル風俗事典」。19世紀のパリは、沢山の文化が生まれましたが、モンマルトルはその舞台でもあります。この一冊を読んでいくと、当時生まれた絵画や小説などが、より一層楽しめます。オススメの一冊!
Photo and Writing by HASEGAWA, Koichi and Shino
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