アルプスの牛たち
グリンデルヴァルトを歩いていると、すぐ近くに牛がいた。
観光地の風景として遠くに見える牛ではなく、本当にすぐそばにいる。人に慣れているのか、周りを気にしないのか、のんびりと草を食べている。
その姿が、なんとも気持ちよさそうだった。
ただ草を食べる。
周囲の景色にも、人間にも、特に関心を払わない。自分の時間の中で、自分のやるべきことをやっている。
その「我関せず」という感じが、妙に頼もしく見えた。
アルプスの風景の中に牛がいると、景色がただ美しいだけではなくなる。
そこに暮らしがあるのだと感じる。

草原を保つ人と牛の営み
とはいえ、この美しい牧草地の風景は、自然にそこにあるだけではない。
放牧をする家の人たちの仕事は、決して楽ではないはずだ。
早朝から起きて牛の世話をし、搾乳をし、放牧し、小さな牛の面倒を見る。チーズ作りに関わることもあるだろう。
そして、山岳地帯ならではの移牧がある。
夏には牛を山の上の牧場へ連れていき、冬には麓へ戻る。草を求めて、季節に合わせて山を移動しながら暮らす。
旅人として眺めていると、アルプスの牧草地はただ美しい。
けれどその美しさの背後には、人の労働がある。牛たちの営みがある。長い時間をかけて続けられてきた土地の使い方がある。
実際、放牧によって草地が保たれている面もあるのだろう。
牛が草を食べることで、牧草地は手入れされ、開けた明るい風景が維持される。僕たちが気持ちよく眺めているアルプスの草原は、酪農家の人々と牛たちの働きによって保たれている。

グリンデルヴァルトの記憶
グリンデルヴァルトの風景を思い出すと、まず浮かぶのは山の大きさである。
けれど、それだけではない。
初夏の光、草原の匂い、木製の滑り台、すれ違ったカップルの笑顔、のんびり草を食べる牛たち。
旅の記憶は、名所の名前だけでできているわけではない。
むしろ、少し恥ずかしかったことや、誰かと一瞬だけ笑い合ったこと、動物を眺めながら何かを感じたことのほうが、あとになって鮮やかに残ることがある。
アルプスの雄大な風景の中で、滑り台を滑ったこと。
牛がただひたすら草を食べていたこと。
その何気ない場面が、今もグリンデルヴァルトの記憶として残っている。
スイスの景観は、人と自然と動物の営みが重なって保たれている。
そのことを、初夏のアルプスの草原で、少しだけ感じることができた。



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