アメリカの光と沈黙を写した写真家たち|エグルストン、ショア、ロバート・アダムスをめぐって

フラットアイアンビル、ニューヨーク。Photo by Hasegawa, Koichi

アメリカという国を、写真で見る。
それは、地図を広げて旅をすることとは少し違う。

道路、ガソリンスタンド、モーテル、郊外の住宅地、ショッピングセンター、乾いた大地、そして街角の色。
写真家たちは、そうした何気ない風景の中に、アメリカという国の気配を見つめてきた。

美術館で絵画を見るように、写真集を開く。
すると、そこには観光地としてのアメリカではなく、日常の中に沈んでいるアメリカの光や沈黙が現れてくる。

この記事では、ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショア、ロバート・アダムスを中心に、アメリカを写真で感じるための写真家たちを紹介したい。

ウィリアム・エグルストン|日常の色が、アメリカになる

まず取り上げたいのは、ウィリアム・エグルストンである。

エグルストンの写真には、特別な出来事が写っているわけではない。
古びたガソリンスタンド、道端の看板、室内の赤い天井、郊外の家、手入れの行き届いていない庭。
そこにあるのは、どこにでもありそうなアメリカ南部の日常である。

しかし、彼の写真を見ると、その「何でもない風景」が、急に強い存在感を帯びてくる。
色が、ものを語りはじめる。
赤、青、黄色、くすんだ緑。
それらの色は、単なる記録ではなく、アメリカ南部の空気や湿度、生活の気配そのもののように感じられる。

エグルストンが重要なのは、カラー写真を美術の領域へ押し上げた写真家の一人だからである。
かつて写真芸術では、モノクロ写真の方が本格的な表現と見なされることが多かった。
その中でエグルストンは、日常的なカラー写真を、鋭い感覚をもった芸術表現として成立させた。

彼の代表的な写真集に『William Eggleston’s Guide』がある。
この本を開くと、アメリカ南部の街角を歩いているような感覚になる。
しかし、それは旅先で美しい風景を探す歩き方ではない。
むしろ、誰も見過ごしてしまいそうな風景の前で、ふと立ち止まるような体験である。

エグルストンの写真は、「アメリカらしさ」は壮大な風景だけにあるのではない、と教えてくれる。
それは、冷蔵庫の上、車のボンネット、道路脇の看板、夕方の空の色にも宿っている。

スティーブン・ショア|旅の途中にある人工物の風景

スティーブン・ショアもまた、アメリカをカラー写真で捉えた重要な写真家である。

ショアの写真を見ていると、アメリカを旅している感覚が強くなる。
道路、モーテル、ダイナー、駐車場、ガソリンスタンド、街角、食卓。
そこには、移動する者の視線がある。

エグルストンが日常の奥に潜む色の強さを見つめた写真家だとすれば、ショアは旅の途中で出会う風景を、静かに記録した写真家と言えるかもしれない。

彼の代表作『Uncommon Places』には、アメリカ各地を旅しながら撮影された風景が収められている。
それらの写真は、劇的ではない。
むしろ、驚くほど淡々としている。

しかし、その淡々とした視線がいい。
道路沿いの建物、車、標識、電柱、レストラン、郊外の空間。
そこには、人間が作ったものが、風景の中に静かに入り込んでいる。

僕自身、街角を撮ることに惹かれるのは、そこに人間の作ったものが残っているからだと思う。
建物、道、看板、車、窓、店先。
それらは、自然風景とは違うかたちで、その時代の生活を語っている。

ショアの写真には、その感覚がある。
何気ない街角なのに、よく見ると、時代の空気が写っている。
車の形、看板の文字、建物の色、道路の広さ。
それらが集まって、ひとつのアメリカの風景を作っている。

ショアの写真は、旅先で美しい場所を探すというよりも、移動の途中にある風景を見つめ直す写真である。
アメリカという国は、観光名所だけでなく、道路沿いの空間や郊外の眺めの中にも広がっている。
そのことを、彼の写真は静かに教えてくれる。

ロバート・アダムス|西部の静けさと、開発された風景

ロバート・アダムスの写真には、さらに深い静けさがある。

彼が見つめたのは、アメリカ西部の風景である。
広い空、乾いた土地、住宅地、道路、開発された郊外。
そこには、美しい自然だけではない。
人間によって変えられていく土地の姿がある。

アダムスの写真は、モノクロで撮られていることが多い。
そのため、エグルストンやショアのカラー写真とは違う印象を与える。
色の魅力ではなく、光と影、土地の形、空間の静けさが前面に出てくる。

彼の写真を見ていると、アメリカの風景が持つ沈黙に引き込まれる。
道路の向こうに広がる住宅地。
遠くに見える山並み。
乾いた土地に並ぶ家々。
自然と人工物が、どちらか一方に勝つのではなく、緊張をはらみながら同居している。

ロバート・アダムスの写真が興味深いのは、単に「美しい風景」を撮っているのではない点である。
そこには、開発によって変わっていくアメリカ西部へのまなざしがある。
自然は残っている。
けれども、その中には道路が通り、住宅が建ち、ショッピングセンターが現れる。

その風景は、どこか寂しい。
けれども、批判だけでは語れない静けさがある。
人間の営みが土地を変えていくこと。
その事実を、アダムスは声高に語るのではなく、ひとつの風景として見せる。

写真集『The American Silence』というタイトルは、とても象徴的である。
そこに写っているのは、アメリカの大地の大きさであり、同時に、その中に広がる沈黙である。

エドワード・スタイケン|写真が絵画に近づいた時代

ここで少し時代をさかのぼって、エドワード・スタイケンにも触れておきたい。

写真が登場したとき、それは絵画に大きな影響を与えた。
一方で、写真もまた絵画から多くを受け取っていた。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、写真を絵画のように見せようとする動きがあった。
それが、ピクトリアリスムである。

ピクトリアリスムの写真には、柔らかなぼかしや、絵画的な構図、光と影の効果が用いられた。
写真でありながら、まるで印象派や象徴主義の絵画を見るような雰囲気を持っている。

スタイケンは、その時代を代表する写真家の一人である。
彼の《フラットアイアンビルディング》は、ニューヨークの近代的な建築を撮りながら、単なる都市の記録ではなく、霧や光の中に立ち上がる詩的なイメージとして見せている。

ここで重要なのは、写真が最初から「現実をそのまま写すだけのもの」ではなかったということだ。
写真家たちは、絵画と同じように、構図を選び、光を選び、雰囲気を作っていた。

アメリカを写真で見るということは、単に場所を知ることではない。
写真家がどのような視線でその場所を見たのかを知ることでもある。

エルンスト・ハース|ニューヨークの色彩

エルンスト・ハースは、オーストリアに生まれ、のちにアメリカへ渡った写真家である。
彼の写真には、ニューヨークの色彩と動きがある。

1950年代から60年代のニューヨークを写したカラー写真を見ると、都市のリズムが伝わってくる。
看板、車、人々、反射する光、雨に濡れた路面。
ハースの写真において、色は単なる情報ではなく、都市の感情そのものになっている。

エグルストンが南部の日常の色を見つめた写真家だとすれば、ハースは都市の動きの中にある色を捉えた写真家と言える。
ニューヨークという街のエネルギーが、色彩を通して立ち上がってくる。

彼がアメリカへ渡った背景には、マグナム・フォトとの関係もある。
ロバート・キャパに招かれ、ハースは国際的な写真家として活動の場を広げていった。
その視線は、ヨーロッパからアメリカへ渡った者の視線でもある。

外から来た写真家が見たニューヨーク。
そこには、アメリカ人写真家とはまた違う驚きと感覚がある。

フレッド・ヘルツォーク|北米の街角とカラー写真

フレッド・ヘルツォークは、厳密にはアメリカではなく、主にカナダのバンクーバーで活動した写真家である。
しかし、彼の写真には、1950年代から60年代以降の北米の街角の空気が濃く写っている。

ネオンサイン、店先、歩道を行き交う人々、古い車、ガラス越しの光。
ヘルツォークの写真には、都市の生活感がある。

彼が興味深いのは、カラー写真を早い段階から街角の記録として用いていた点である。
当時、カラー写真はまだ芸術写真として十分に評価されていたわけではなかった。
しかしヘルツォークは、日常の街を色彩のある現実として見つめた。

彼の写真を見ると、街角には物語があるのだと感じる。
包帯を巻いた男、それを見つめる人、店の看板、歩道の光景。
一枚の写真の前後に、何かが起こっていたように思える。

それは、旅先でふと見かけた場面にも似ている。
一瞬しか出会わないのに、なぜか記憶に残る光景。
ヘルツォークの写真には、そうした街の断片が写っている。

写真集を開くことは、もう一つの旅である

写真集を開くことは、旅に似ている。

実際にその場所へ行かなくても、写真を通して風景の空気に触れることができる。
エグルストンの南部、ショアの道路、アダムスの西部、ハースのニューヨーク、ヘルツォークの北米の街角。
それぞれの写真家が見た風景を通して、アメリカという場所の複数の顔が見えてくる。

アメリカは、広大な自然だけでできているわけではない。
道路、車、看板、住宅地、店、モーテル、電柱、ネオン。
人間が作ったものもまた、アメリカの風景を形作っている。

写真家たちは、それをただ記録したのではない。
彼らは、その風景の中にある光、色、沈黙、時間を見つめた。

だから、写真集を眺めることは、単なる鑑賞ではない。
それは、写真家の視線を借りて、もう一度世界を見ることでもある。

旅先で何気ない街角に惹かれる人なら、きっと彼らの写真にも惹かれるはずだ。
アメリカの風景は、壮大な大地だけでなく、日常の中の小さな光にも宿っている。

筆者について

長谷川浩一|美術史家・講師・執筆

旅先で出会った街角の光、夜の気配、建築や風景に残る時間の層を、
写真と言葉で記録しています。
東京では西洋美術史講座 Edogawa Art Salon, Tokyo を開き、
noteでも美術や旅にまつる文章を書いています。

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