「悲劇の天才」ではなく、創造性を見たい
ゴッホは、いわゆる“悲劇の天才”として語られがちだ。耳切り事件、貧困の中での制作、そして孤独。こうした彼の人生の断片は確かに強い。強すぎる。そして人はそんなドラマチックな物語に流される。そうすると作品が、いつのまにか“ゴッホの人生の挿絵”になってしまう。つまり、そういった目で作品を見てしまいがちになる。
もちろん、彼の心の動きが画面に現れている面はあるだろう。芸術の創造と芸術家本人の魂というのは共鳴するからだ。けれど僕は、彼が心血を注いで描いているとき、むしろどこかで楽しんでもいたのではないか、とも思っている。いや、夢中だったと思う。だからこそ、その作品を先入観の眼鏡から解放し、あらためて絵の構造と、制作を駆動した源を確かめたい。

《星月夜》は「偏見」を外す試金石だった
前回のゴッホ講座。僕は《星月夜》を、その試金石としてみた。
よく言われるように、あの作品がドロドロしたゴッホの心象風景だと決めつければ、たしかにそう見える。けれども、丁寧に見ると、そこにあるのは夜空の生命感なはずだ。渦巻く線は狂気の表情ではなく、むしろ空気の脈動として息をしている。あれほど美しく、夜というものの密度を描いた絵があるだろうか。
受講者の反応は、驚くほど素直で、しかも熱かった。
「悲劇ではなく、創造性を見た」
たぶん、そういうことだったのだと思う。
ゴッホとゴーギャンがキャンバスを並べた季節
今回の講座も、同じ方針を取りゴッホ芸術の本質に少しでも迫りたい。
二人がキャンバスを並べた南仏の季節。
あの二人が過ごした2ヶ月の時間は事件として語られることが多い。けれどあれは、事件ではない。実験である。あるいは、お互いの芸術が火花散る瞬間だ。
同じ空気の中で、同じ場所を前にして制作をしたとき、二人の「絵が成立する根拠」がどれほど違うかが、突然、くっきりと見えてくる。そこに立ち会いたいと思うし、それが面白い。
ゴッホは、目の前の世界を彼の目で観察し、色と筆触で変換していく。
ゴーギャンは、目の前の世界から離れる。記憶と想像で構成し、象徴として世界を組み上げる。
どちらが正しい、ではない。どちらが強い、でもない。
ただ、世界の作り方が違う。
僕はその違いを、人生の物語ではなく、画面の上で確かめたい。そしてこれはなんとワクワクすることであろう。二人の巨人の共演を探っていくことになるのだから。

アルルの明るい光から入る
まずは、アルル期の前半。ゴッホが冬のアルルに到着してからゴーギャンがやってくる秋まで。
橋、寝室、広場、川。生活圏そのものが、ゴッホ単独の制作舞台になる。
アルルは、ゴッホにとって“理想の舞台”だったはず。ここは明るい光を当てて講座を進めていこう。悲劇の前奏としてではなく、心が弾んでいたゴッホの春から夏の時期。
「夜」は感傷ではなく技術として読む
次に必要なのは「夜」だった。
「大ゴッホ展」の目玉作品にもなる《夜のカフェテラス》。タイトルだけでも人を引く力がある。けれど「夜」と聞くと、また人はゴッホ物語へ滑っていく。

だから僕は、夜を感傷から剥がす。夜を技術として読む。人工光、反射、暗部の階調、視線の導線。
夜が“暗い時間”ではなく、“光が設計される空間”として立ち上がる瞬間を見せたい。そうすれば、《星月夜》のときと同じように、偏見の眼鏡が外れて彼の芸術の凄さに震えるだろう。
《ひまわり》は「迎えるための絵」だった
そして、《ひまわり》。
《ひまわり》もまた、ドラマチックなゴッホ物語に吸い込まれやすい。
けれど、《ひまわり》はただの静物画ではない。黄色い家の壁を作るための絵であり、共同制作の舞台を整えるための装置でもある。
ゴーギャンを迎えるために、空間そのものを絵で設計していく。
この一点が入ると、アルル前半の明るさは、そのまま後半のハイライトへ繋がっていく。まるで、舞台が整い、幕が上がるように。
ゴーギャンは「数」ではなく「並べ方」で効かせる
ここまで来て、次の疑問が生まれる。
ゴーギャンのアルル滞在は数か月しかない。作品数が限られる。これでは二回目が薄くなるかもしれない。
でも、ここで僕はもう一度転回する。
作品数を増やすのではない。並べ方を考える。
ゴーギャンは少数精鋭でいい。その代わり、ゴッホ側の対応作を増やし、比較の枠を固定する。場所、室内、人物。
同じ枠に二人の画面を並べたとき、どこが一致し、どこが割り切れずにズレるのか。そのズレこそが面白い。だから僕は、説明しきれない例外を必ず一つ残す。方法が硬直しないために。絵が生き物であるために。
2回シリーズで、合流点と分岐点を描く
こうして、まだ本題に入る前に、講座の骨格はほとんど決まってしまう。
第一回は、ゴッホ中心でアルルを辿り、後半でゴーギャンを登場させる。ピークは「キャンバスを並べた季節」。
第二回は、アルルの後。二人が別れたあと、何が起きたかを追う。ゴッホはさらに深化し、ゴーギャンはむしろそこから傑作期へ入る。
ここでも人生のドラマではなく、制作のドラマを語るつもりだ。絵がどう進んだか。どんな速度を得たか。何が発明されたか。
ゴッホとゴーギャン。二人の芸術の巨人。少しでも彼らの芸術に迫りたい。










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